ある日、横浜のアートスペースblanClassから「何かパフォーマティブなことをやってみませんか?」というざっくりした依頼が藤原に届いた。ちょうど彼は、東京の重力圏での演劇に限界を感じており、もっと未知で野蛮なものを求めていた。ある呑み屋の常連だった男の言葉にインスピレーションを受けた彼は、あてもなく三浦半島をリサーチし、そして『演劇クエスト』を着想したのだった。残念ながら第一作が生まれる前に、その呑み屋の男は孤独死してしまった。『演劇クエスト』は彼を死から救うことができなかった。
このSeason 1 の『演劇クエスト』は、落雅季子をドラマトゥルクとし、主に横浜を舞台に展開されていった。象の鼻テラスも重要な実験の場となった。本牧や城崎では地域の人々が創作プロセスに大きく関わった。またTPAM2015の宮永琢生ディレクションでは海外のフェスティバル・ディレクターたちと出会い、海外進出(Season 2)のきっかけとなった。